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わかさある記
わかさを知りたくて。 歩きたくなった。

若桜観光の魅力はSLだけではありません。若桜の歴史と文化を巡ってみてはいかがでしょうか。NHK大河ドラマ「平清盛」の弟・平経盛の隠れ住んだといわれる洞窟や1200年の歴史を持つ国の重要文化財「不動院岩屋堂」、城下町若桜の象徴でもある国史跡「若桜鬼ヶ城跡」、締めくくりは若桜郷土文化の里で若桜の民俗にも触れていただきます。どうぞ悠久の若桜を堪能して下さい。

平経盛隠棲の地 落折

落折集落は若桜町の東端に位置します。現在の戸数は15戸で、全戸が「平家」姓です。
全国各地には源平合戦で敗れた平氏の落武者達が源氏の追っ手から逃れ、隠れ住んだという地が多く存在します。この落折は平清盛の弟、平経盛(たいらのつねもり)とその配下20余名が逃れ、平氏再興の時期を狙っていたという伝説が残されています。
現在も集落内には経盛が隠れ住んでいた洞窟や馬かくしの谷、経盛の墓といわれる宝きょう印塔が残され、人々によって大切に守られています。

戸倉峠手前の落折集落には、一ノ谷の合戦で敗れた平清盛の弟の平経盛や20数名がこの地に逃れ村奥の岩屋に隠れたと言われており、ここでは全て「平家」姓を名乗っています。平経盛は平忠盛の子で、清盛とは異母弟にあたります。武将としても優秀でしたが、父と同じく詩歌に通じ、管弦の名手という別の一面も持ち合わせていました。壇ノ浦の戦いに敗れて、入水したといわてれいますがその後陸に上がり、集落奥の洞窟に隠れ住んだといわれています。

この経盛隠棲の洞窟は巨大な岩窟が幾重にも重なり合い、あちこちに残る洞穴が抜け道のように見えるなど、隠棲の地として雰囲気を醸しだしています。この貴重な文化遺産である洞窟は地元落折集落の皆様のご尽力により保存されています。

車で10分

落折集落から国道29号を約5km若桜方面に下ると小高い丘に旧池田小学校の校舎が左手に見えてきます。6月から7月にかけて学校の土手に色とりどりのあじさいが一斉に咲き誇ります。また、10月には校舎のすぐ下手にあるそば畑に白いそばの花が咲き、道行く人の心をなごませてくれます。

不動院岩屋堂

日本三大の投入堂の一つといわれ、昭和28年に国の重要文化財に指定されました。床下は三徳山投入堂舞台造りと同じ造りです。
 本尊の不動明王は、弘法大師が33歳の時に彫ったといわれ、東京にある目黒不動と目赤不動と共に日本三大不動明王であると言われていますが、確証となる資料は見つかっていません。(3/28,7/28不動明王一般公開)※平成28年は3月、7月の大祭は行われず5月28日(土)のみ1210年祭が行われました。
場所:不動院岩屋堂(若桜町岩屋堂)

日本三大投入堂(鳥取県東伯郡 三徳山、大分県宇佐市 龍岩寺、鳥取県八頭郡 岩屋堂)の一つで昭和28年に国の重要文化財に指定されしてされました。羽柴秀吉が鳥取城攻めの際にこの付近を焼き払ったものの本尊が災いを避ける神様であったため、焼け残ったと言われています。本尊の不動明王は、弘法大師「空海」が33歳のときに彫刻された不動明王で東京にある目黒不動と目赤不動とともに日本三大不動明王と言われています。毎年3月28日と7月28日には護摩法要が行われ、本尊の不動明王が一般公開されます。※平成28年は3月、7月の大祭は行われず5月28日(土)のみ1210年祭が行われました。
場所:不動院岩屋堂(若桜町岩屋堂)

車で30分

岩屋堂から約5km車を走らせると、国道29号線沿いの八東川に架かる「若桜橋」があります。昭和8年に建設されたこの橋は当時を象徴する近代化遺産として価値も高く、景観やデザインにも優れていることから平成19年9月に国の有形登録文化財として登録されました。川と共に栄えた若桜の町のランドマークに相応しい存在感を示しています。

若桜鬼ケ城

中世に築かれた山城(やまじろ)として播麿・但馬・美作・因幡の街道をおさえる重要な拠点であり、鳥取城・鹿野城とともに因幡の三名城として高く評価されました。
現在も石垣が壊された当時の状態であったり、山城独特の行き止まり虎口などが残され、若桜の歴史展開を物語る遺跡として重要です。
またここは、地元がオススメする眺望スポットでもあります。
登ったひとだけが体感できるご褒美が待っています!

若桜鬼ヶ城は若桜の町を眼下に望む標高452mの鶴尾山の山頂部から丘陵尾根上に郭群を配していました。本丸、二の丸、三の丸、ホオズキ段、六角石垣など全てが高石垣で築かれていました。元和3年(1617年)に一国一城令によって廃城となり、およそ400年経った現在に破城の歴史を伝えています。平成20年3月には全国的に珍しい造りの虎口があることなどから、国史跡に指定されました。

若桜宿は遠くは播麿・但馬国へと通ずる街道の結節点に位置しており、因幡地方にとっては重要な拠点でした。元禄14年(1701年)「城下町」は「宿」と改められ、但馬、播磨、美作へ通じる交通の要衝としてにぎわい、栄えました。天守閣跡からは眼下に若桜宿が一望できます。
この景色を見ながら歴代城主は何を思っていたのでしょうか。
城主になりきって往時に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

城下町の名残としては、御構・殿町・上町・中町・下町・農人町・大工村などの字名や、百間石垣、鍵形の道筋、若桜神社、寺通り、西方寺裏の土塁、水路などがあげられます。
また若桜宿の町並みは、城下町から宿場町へ変遷していった若桜宿の歴史、文化を感じさせる景観を保っており、町外から広く注目されています。

車で15分

若桜駅前を通って国道29号との交差点の右手にあるのが、小林挽物店です。退職を機に、亡きお父さんの後を継いで木工ロクロを回しておられます。ベーシックなものから現代風なデザインの作品も手がけておられますので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

交差点を郷土文化の里に向かって橋を渡れば中之島公園があります。この公園には多目的グラウンド、遊園地には55mのロングスライダーなどの遊具がそろっており、週末は親子連れ等で賑わっています。

郷土文化の里

明治40年に創設された旧山陰合同銀行や、無動院永福寺移築した山門、また旧庄屋だった県重要文化財「三百田氏住宅」も移築され、昔の時代にタイムスリップしたようです。
また、敷地内には木工体験室等を備えた、生涯学習施設「たくみの館」もあります。
旧中学校跡地であるため、春には桜が咲き誇り、一国一条例で廃城となった若桜鬼ヶ城も見渡せ、ロケーションは最高です。
また、近くには平安時代の延喜式の神名帳にも載っている町内最古で、千年以上の歴史をもつ由緒ある「意非神社(おいじんじゃ)もあります。
その前には若桜杉で高さ26.8mの日本一の大幟や大鳥居も建てられています。

若桜郷土文化の里は移築復元した県指定保護文化財「三百田氏住宅」や「若桜町歴史民俗資料館」「永福寺山門」や「山村文化伝習施設たくみの館」「若桜森林公園」を併設しています。森林公園の遊歩道を登ると、四阿[あずまや]からは国指定史跡若桜鬼ケ城跡[わかさおにがじょうあと]のある鶴尾山[つるのおやま]や若桜宿の街並みが一望できます。

たくみの館は若桜町の町並みの特徴である蔵通りの土蔵とカリヤ通りをイメージした建物です。館内には郷土の文化、産業の資料展示の他、木工ろくろを使った木工体験もできます。コマ、茶たく、こけし等初心者でも簡単に作ることができます。木工体験って実は簡単です。オリジナル作品に挑戦してみてはいかがですか。

たくみの館には1階と2階に展示室があり、若桜町にゆかりのある方の絵画展や様々な美術サークルの作品展示が年間を通じて開催されており、町民をはじめとする芸術家のミニ美術館として利用されています。